「片付け」

五月十一日、月曜日。

 今日は、本来なら創立149周年記念大運動会の片付けが予定されていた日であるが、衆知の通り、それは叶わなかった。

 高三の我々にとって、運動会が如何に重要なものであるかは言うまでもない。ここまで感染症の流行拡大があって、それでも六月に運動会ができると思っていた人はなかなかいなかっただろうが、せんだって、明確に「中止」の二文字を出されて、困惑し、嘆き、打ちひしがれた。

 文字通り百年に一度の大災害である。運動会はこれからも続くだろうし、震災だか噴火だか、或いは気象災害かは計り知れないが、また存続の危機は訪れるだろう。また判断に迷うことがあったら、ここに書き残した高三の思いが少しばかり参考になるかもしれない——まあそんな立派なものではないが。

とにかく、私は私なりに運動会の片付けをしたい。この複雑な胸中を一塊の言葉として綴り、静かに己の感情と向き合おうと思う。

 思い返してみれば、恋のようなものだった。

 八人に一人しか優勝は手にできない。だけど、だからこそ、燃える。

 「ふるさとを恋う」などとも言うように、「恋」とは、遠くのものに惹かれることである。我々は、優勝に、その感動に、団結に、一年に一度の晴れ舞台に、そして指導する高三の立場に、憧れていたに違いない。手に入らないから恋しく思う。いま、その恋は儚くも散った。

 高三の運動会というものに、皆はどういう思いを託していただろうか。ある人から、「今までできなかったものをしたかったのだ」という話を聴いた。

 成程、今までの二または五年間(以降は私に合わせて旧高基準で書く)で優勝できなかった、或いは一勝もできなかったから、最後こそは優勝して終わりたい——。そんな気持ちで臨んでいた人は多かったろう。少数ながら、優勝の感動をもう一度、という人もいただろうか。とにかく、高三の運動会は、一年で完結するものではない。五年間の汗と涙と感動の記憶が詰まったもので、それだけ重いものを背負っているから、下級生を勝たせてやりたいだとか、六棒で勝ちたいという気持ちが湧いてくるわけだ。言っちゃ悪いが、入学して一年とかの段階では、こんなに熱くなれるはずがない。客観的に見てそんなに面白い競技ではないし、所詮は高校の体育祭である。誰が命をかけるのだろうか。何で受験勉強をほっぽってまで臨むのだろうか——。

 最初は、よくわからない先輩が前触れもなく怒鳴り込んできた。

「今から顔合わせするから。」

「俺らは一年間かけて準備してきた。絶対優勝させてやる。だからついて来い。」

 何のことやら、さっぱりわからない。たかが騎馬戦(馬上鉢巻取りであるが)に、何で毎日毎日の貴重な放課後を費やさねばならないのか——しかし、我々は軈て感化される。高三の目は本気だった。彼らは練習の僅かな上達で一喜一憂した。怪我をすれば大袈裟なまでに心配した。実戦対抗で勝った日には天下統一を成し遂げたとでも言うくらい舞い踊った。彼らは常に勝利を目指し、かつ我々下級生に優しく寄り添っていた。だから、そのうち、

「仕方ないなあ、こんなに本気の先輩たちが可哀想だから、いっちょ協力してやるか。」

といった具合で、勝利を目指すことにした。

 でも、負けた。教室に戻った先輩たちは涙ながらに、

「俺たちが悪かった。お前ら本当によく練習してくれたのに、勝たせてやれなかった。」

 冷静に考えてみれば、押し付けがましいにも程がある。第一我々は運動会をやるために入学したわけでもないし、競技も組もみんな勝手に決められたものな上、優勝という目標を無理やり持たされたわけだ。勝たせてやるとは、何と傲慢な話だろう。喩えるなら、自分が大学に落ちたからと志望校を設定してくる親のようなものだ。全く理不尽で、子供の気持ちなど考えてはいないんだ——。でも、高三の話を聞いていた私は、こんな思考を巡らしながらも泣いている自分に気づいた。

 年を重ねるにつれて、運動会で勝利を目指すことは至極当然のことになった。グラウンドに立つと、昨年の苦い思い出が蘇る。今年こそは、ウイニング・ランで笑って終わりたい。毎年毎年先輩は変わっていったが、どの人も本気だったし、心優しく、この人と優勝したい、と思わされる。それが常だった。

 集団ヒステリー。宗教。何とでも言うがいい。実際、運動会が妄信的な大衆と勝利至上主義によって成立しているのは否めない。でも、それが全てだった。頭では分かっていても、もう引き返せないところまで来ていた。運動会には全力を尽くさなければいけないし、勝たねばならないのだ。

 その信条は、時に理性的な同輩を傷つける。運動会から撤退するなんて、ありえない——左様な同調圧力を肯定する気はさらにないが、しかし、どちらかと言うと、運動会への九割を超える出席率は、同調圧力ではなく、各々の感動によって成立していただろうと言える。運動会に特に思い入れがあるわけではないが、でも参加したら燃えるし、泣ける。そんなところが、「何となく参加する」大衆を支えていた。

 運動会へのそこはかとない恋は、なかなか実らないし、寧ろ苦しいことの方が多い。

優勝できるのは八人に一人。六年間やっても一度も勝利できない人だっている。八人に七人は泣き、土下座をし、反省の色を滲ませ、翌年までその後悔を引っ張る。長い人は高三まで引っ張って、「中三のリベンジを!」などと意気込む。

 そんなに苦しいならやめれば良いじゃないか、と言われても抜け出せないから「恋」なのだ。そして、積もりに積もったその思いをぶつけるのが高三の運動会で、下級生に、アーチに、エールに自分の切なる夢を託し、そして六棒でありったけの力を振り絞る。ほとんどの生徒は、ここで全力を出すことで、後悔なく運動会への思いを振り切り、受験勉強などの卒業後を見据えた行動に舵を切るのだ。これが「普通」だった。

 それにしても、今回の中止決定は、運動会が内包してきた多くの問題を顕在化させたように思う。第一に、高三至上主義であるということ。第二に、特に撤退者に対しての、多数派の暴力的な態度。第三に、不衛生さ。

 私は運動会もさせてもらえずにこの道灌山の学舎を去るのだから、これらの問題について細かく論うつもりはない。後は野となれ山となれ。高三の運動会をしなかったのに、今後の運動会を改善する提案などする義理もない(あくまで私見である。責任感のある人が伝統の継承に務めるのは全く素晴らしい精神だ)。これは後輩諸君が冷静に議論を重ねてもらえばいいだろう。ただ、高三至上主義については、一考の余地がある。

 高三の運動会にここまでの価値がかけられているのは、正直年功序列にすぎる。敢えて読者諸君の嫌がる言葉を使って言えば、入学から高二までの運動会は、全て抑圧と強制の歴史であり、高三の勝利への渇望と戦略の下、下級生は持ち駒の扱いをされてくる。その過程で大多数は同じく勝利を尊び、試合後は感涙に咽ぶ精神が植え付けられる。この辛い気持ちは、高三で晴らしてやる——。高三になった生徒は、遂に自分の晴れ舞台が来たと喜び、下級生を優しく指導する自分に酔い、優勝を妄想しては得意になる。

 これは、一年生には球拾いと水汲み、先輩の機嫌取りしかさせないような運動部と構造を同じくするものがある。一年生たちは何が楽しくて部活を続けるのかと言えば、勿論最上級生になって権力を揮いたいからである。それまでの辛抱だ、ということ。これは全く理不尽で不毛だが、実際全国津々浦々多数の組織にこういう風潮は少なからずあるだろう。

 忘れるなかれ、運動会がなくなったのは中一も高二も同じである。彼らにとっての二〇二〇年の運動会はもう二度と戻らないし、該当学年の競技は一度もできないままだ。その痛みを上級生と下級生で分かち合えないのは、一重にこの高三至上主義の弊害だろう。

 今まで多数の先人がこの問題を指摘してきたが、それは小さな声だった。運動会が中止されるという事態に陥って、この間隙が顕在化してしまった。

 然し、今更になってその問題を指摘しても遅い。中一も高二も高三もみんな同じくらい楽しめる運動会だったら、高三の一年がなくなったくらい、何てこと無いかもね。そうは言っても遅い。運動会はなくなってしまった。

 勿論、ここで高三が指導するという体制を悪というつもりはない。寧ろ、私が思うに、運動会は高三が指導してこその価値がある。

 高三が多かれ少なかれ下級生の身体、意志、全てを委ねられて指導する現在の形だからこそ、運動会は生徒による自治が円滑に行われるし、卒業前の最後の「教育装置」として機能する。同級生との人間関係から下級生の接し方まで、自分たちの在り方、理想のリーダー像、そういったものについて深く考えるきっかけとなるのだ。先述の問題を差し置いても、この運動会の形態は特異で素晴らしく、維持継承されて良いものと思う。

 結局、今年に限って何か特別な問題があったわけでもない。我々はただ運がなかったまでのことである。

 嗚呼、運動会、運動会、運動会、運動会。嘆いても仕方ない。誰の責任でも無いが、もう巡り合うことはない。ただ、我々とは相性が合わなかった。それだけである。

 でも、だからと言ってこの悔しい思い——とは言っても敗北したのと違って、そもそも努力することも、そして泣くことも許されなかったのだ——は、上書きできない。きっと死期を悟ったころにも、一度は脳裏を過る後悔となって再会することになるだろう。

 何を言っても今はどうしようも無いから、ただこの文章を読む諸君のささやかな幸せを祈るに限る。新型コロナウイルスと戦う皆さんにエールを、特に医療従事者の方々に感謝し申し上げたい。一日でも早くこの状況が打開されることを願って。それでは。