不合格/合格体験記 (三)白桜

三 白桜

桜は何色だと思いますか? 東京はもうすっかり葉桜になってしまった頃だけども、ほら、いま一度外へ出て花びら一枚を手にとってご覧なさい。ほとんど白に近い色でしょう?

けれども大抵桜はピンクだと言われます。一枚の白の中にごく僅かに含まれた赤の成分が、五枚で花一つを形作り、さらにはその花が数百、数千と集まって一つの木になる過程で、いつしか全体としてピンクだとか薄桃色だと認識されるようになったのでしょう。私が思うに、きっと、これは日本人の桜好きの一因です。日体大マスゲームのように、あるいは小学校の組体操のように、集団で一つの美を形成することが何か数倍も数十倍も美しく感じられるのです。だから西洋人と違って、薔薇やチューリップのような一輪ものの花ではなくて、桜とか藤みたいな、ひとかたまりで愛でる花をむしろ好むのが日本人なのではないでしょうか——。

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2020年の春は、桜が白かったことだけが鮮烈に記憶されている。

急に襲いかかった感染症。突然なくなった学校。二月末日に始まった一ヶ月の休校期間を終え、しかしこれからはもっと大変なことになりそうだ、という束の間の春。実際、翌週には前代未聞の緊急事態宣言発令を控えていた。所用で出かけた日、人のすっかりいなくなった橋から神田川を見下ろすと、河畔の桜が異様に白く目に写った。

集まって咲いていても、白い桜。その光景が、ただただ心を虚しくした。朝起きて、カーテンを開いて、寝ぼけ眼でZoomを立ち上げて、コーヒーを淹れてトーストを焼きながら、映像授業をだらだらと受ける。一通り授業を受け終わって、ギターを十分二十分爪弾くと、もう日が暮れて、カーテンを閉める時間になる。夜は光が漏れて外から丸見えになってしまうから。単調な生活。

みんなこうやって隠れて生きていた。スーパーへ買い出しへ行くときは、さながら夜逃げする日の緊張と背徳があった。信号待ちをしていても誰も一言も喋らないで、ただじっと待っている。自分が閉塞感を覚えるのは、むしろ外へ出たときだった。ただ人がいないだけなら良い。みんなそれぞれの部屋に生活しているのに、一歩も外へは出て来ない。たくさんの視線は感じるのに、誰も反応してくれない怖さがそこにはあった。

こういう暮らしをしていると、本当に日々考えることが「でも人はいずれ死ぬよね」の一言に帰着するようになる。いまこの文章を書いていても、あの息の詰まる時代がフラッシュバックして厭になる。当時、別に今すぐ消えたいとかそういうことは思わなかったが、何かをすることに意味が見いだせなくなっていたのだ。いま受験勉強をしなくとも、明日すぐに不都合が生じるわけでもない。だいいち、来年の入学試験があるかどうかすらわからなかった状態だったのだ。無気力な私は、十分、二十分と勉強時間を減らし、その代わりに遊ぶでもなく、何も考えないだけの時間が増えていった。

生活が単調な中でも、世界史の勉強だけは私を籠の外の広い空へと誘ってくれた。世界の様々な民族が持つ固有の文化が衝突したり融合したりするのを知るうちに、この世界に自分たち以外の人が確かに存在している、存在していたという事実を、月並みだが実感できて嬉しかった。

真っ白な桜と、真っ白なノート。昔は病院だったという白い建物の最上階の塾。ピカピカに磨かれたホワイトボード。でも、白板にプロジェクターで映し出された世界史の写真は、モノクロでも色鮮やかだった。古代中華王朝とかイスラーム諸王朝の歴史を以て、私の2020年春の記憶に代えたいと強く思う。